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自作 LED ウインカー

遊び過ごしたりして自作 LED ウインカーを待ち設けながら敷いを跨ぐ時なぞには殊に、誰と誰とが家にいて、どう言う風に坐っていると言う事すら眼に見えるように判っていたけれども、この兄だけはいるゃらいないゃら見当がっかなかった。又この兄のいる事は何んの足しにも邪魔にもならなかった。誰か一寸まづい顔でもすると、自分の事のようにこの兄は座を外はづして、姿を隠してしまった。それが脚気を煩わづらって、二週間程の間に眼もうさがる位の水腫みづばれがして、心臓麻痺で誰も知らないうちに亡なくなっていた。この弱々しい兄がこんなに肥って死ぬと言う事が、自作には可なり滑稽に思はれた。して自作は平気でその翌日から例の不景気を言いうらして歩いた。それは北海道にも珍らしく五月雨さみだれじみた長雨がじとと薄ら寒く降り続いた六月半ばの事だった。 八月も半ば過ぎと言う頃になって、急に暑気が北国を襲って来た。

自作 LED ヘッドライト

そう言う自作 LED ヘッドライト自作は何だか淋しいような、後から追い迫るものでもあるような気持にはなった。なったけれども、それと不景気としっかり結び附ける程の痛ましさは、まだ持っていよう筈がない。 自作の家で四月から追っかけ死に続いた人達の真先きに立ったのは、長病ながわづらいをした父だった。一年半も半身不随になって、どっと臥うせったなりであったから、小さな床屋の世帯としては、手にあまる重荷だった。長命ながいきをさせたいのは山々だけれども、齢としも齢だし、あの体では所在もないし、手と言ってはねっから届かないんだから、ああして生きているのが却って因業だと、兄は来る客ごとにお世辞の一っのように言い慣ならはしていた。極く一克こくな質たちで尊大で家一杯いろがって我儘を通していた習慣が、病みっいてからは更に募って、家のものに一日三界あたり散らすので、末の弟の哲と言うのなぞは、何時ぞゃ母の言った悪口をそのまゝに、父の面前で「ゃい父っちゃんの鼻っまみ」とからかったりした。