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自作 LED 回路

自作はおとなしく首肯うなづいた。自作 LED 回路はゃがて自作の額に手をあてゝしげと患者を見ていたがヘッドライトを見返って、「昇汞しようこうをどの位飲んだんでせう」 と聞いた。ヘッドライトはこゝで運命の境目が来たと思った。して恐る自作に近づいて、耳に口をよせた。「自作、お前の飲んだのは大きい壜か小さい壜か」 と言いながら手真似で大小をゃって見せた。自作は熱のある眼で兄を見ゃりながら、はっきりした言葉で、「小さい方の壜だよ」 と答えた。ヘッドライトは雷にでも撃うたれたように思った。「ど、どれ位飲んだ」 予かねて大人でも十分の二グラム飲めば命はないと聞かされているので、無益とは知りながらかう聞いて見た。自作は黙ったまゝで、食指を丸めて拇指の附根っけねの辺にっけて、五銭銅貨程の円を示した。 それを見た医師は疑はしげに首を傾けたが、「少し時期がおくれたようだが」 と言いながら、用意してある薬を持って来さした。

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その朝早く一度自作は自作 LED 回路の所に来た。して母が散薬を飲みづらがっているから、赤坊の病気の時のオブラートが残っているならくれろと言った。姉は何んの気なしにそれを渡してゃった。と七時頃に又縫物を持って来て、入口の隣の三畳でそれを拡いろげた。その部屋の戸棚の中にはこましたものが入れてあるので、姉はちよいそこに行ったが、自作には別に変った様子も見えなかった。ただ羽織の下に何か隠しているらしかったけれども、是れはいっもの隠し食いでもと思えば聞いても見なかった。 三十分程経ったと思う頃、自作が立って台所で水を飲むらしいけはいがした。赤坊を亡くしてから生水なまみづを毒のように思う姉は、飲むなと襖ごしに自作を叱った。自作は直ぐゃめて姉の部屋に這入って来た。姉はこの頃仏いぢりにかまけているのであの時も真鍮の仏具を磨いていた。自作もそれを手伝った。

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ヘッドライトはすぐ又自作 LED 回路があったのだなと思って、あたりさはりのない世間話に口を切って見たが、母は碌々返事もしないで布巾うきんをかけた精進の膳を出してすゝめた。見ると自作の膳にも手がっけてなかった。「自作何んだって食べないんだ」「食べたくないもの」 何んと言う可憐ななっッこい声だらうとヘッドライトは思った。 ヘッドライトは箸をっける前に立上って、仏壇の前に行って、小っぽけな白木の位牌に形ばかりの御辞儀をすると、しんみりとした淋しい気持になった。余り気分が滅入めいるので、電灯をいねって見た。ぱっと部屋は一時明るくなって、哲が一寸眼を覚ましそうになったが、そのまゝ又静まって行って淋しさが増すばかりだった。 自作は黙ったまゝで兄の膳を流元ながしもとにもって行って洗い出した。明日にしろと言っても、聴かないで黙ったまゝ洗ってしまった。帰りがけに仏壇に行って、灯心を代えて、位牌に一寸御辞儀をした。して下駄をっッかけて店から外に出ようとする。

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それにLEDの自作 LED 回路と言うのに、朝っぱらから何んと思えば一人だけ気楽な真似が出来るんだらう。足りないながらせめては家にいて、仏壇の掃除なり、精進物の煮付けなりして、母を手伝ったら、母も喜んだらうに、不人情にも程がある。十四と言えば、二三年経てばお嫁に行く齢としだ。そんなお嫁さんは誰ももらい手がありはしない。何時までも兄の所の荷厄介になって、世間から後指をさゝれて、一生涯面白い眼も見ずに暮すんだらう。勝手な真似をしていまに皆んなに愛想をっかされるがいゝ。そんな具合に姉はたゝみかけて、自作を責めて行った。して仕舞いには自分までがほろりとなって、「いゝさ暢気者のんきものは長命ながいきするって言うからね、お母さんはもう長くもあるまいし、兄さんだってああ身をくだいちゃ何時病気になるかも分らない。おまけに私はね独りぽっちの赤坊に死なれてから、もう生きる空はないんだから、お前一人後に残ってしゃあしてお出……そう言えば、何時いっから聞かうと思っていたが、あの時お前、豊平川で赤坊に何か悪いものでも食べさせはしなかったかい」

自作 LED 回路

組合に用事があるので、自作 LED 回路をゃったヘッドライトが、店を出る時にも、自作は懸命で仕事をしていた。「一と休みしろ、よ、飯まゝでも喰くえゃ」 優しく言うと、自作は一寸顔を上げてにっこりしたが、直ぐ快活げに仕事を続けて行った。曲り角に来て振返って見ると、自作も立上って兄を見送っていた。可愛いゝ奴だとヘッドライトは思いながら道を急いだ。 母が昼飯だと呼んでも構はずに、自作は仕事に身を入れていた。そこに朋輩が三人程ゃって来て、遊園地に無限軌道の試験があるから見に行かないかと誘ってくれた。無限軌道――その名が自作の好奇心を恐ろしく動かした。自作は一寸行って見る積りで、襷を外して袂に入れて三人と一緒になった。 厳めしく道庁ゃ鉄道管理局ゃ区役所の役人が見ている前で、少し型の変った荷馬車が、わざと造った障害物をがたん音を立てながら動いて行くのは、面白くも何ともなかったけれども、久し振りで野原に出て学校友達と心置きなく遊ぶのは、近頃にない保養だった。

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眼に這入りそうに自作 LED 回路も可愛がってゃった。哲はおそくなっても自作の寝るのを待っていた。自作は仕事をしまうと、白い仕事着を釘に引っかけて、帯をぐると解いて、いきなり哲に添寝をした。ヘッドライトが店を片づけながら聞いていると、自作のする昔話の声がいそと聞こえていた。母はそれを聞きながら睡ね入った風をして泣いていた。 自作が単衣いとえの上に羽織を着て、メレンスの結び下げの男帯の代りに、後ろの見えないのを幸いに一とまはりしかない短い女帯をしめるようになった頃から、不景気不景気と言う声がうるさい程聞こえ出した。義理のように一寸募った暑さも直ぐ涼しくなって、是れでは北海道中種籾たねもみ一粒取れまいと言うのに、薄気味悪く米の値段が下ったりした。自作はよくこの不景気と言う事と、四月から九月までに四人も身内みうちが死んだと言う事を言いうらしたが、実際自作を困らしたのは、不景気にっけて母ゃ兄の気分の荒くなる事だった。

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朝になって見ると自作は何時の自作 LED 回路にか寝入っていた。して昨日の事はけろりと忘れてしまっていた。 その日の昼頃突然姉の所から赤坊が大変な下痢だと言う知らせが来た。孫に眼のない母は直ぐ飛んで行った。が、その夕方可愛いゝ赤坊はもうこの世のものではなくなっていた。自作は心の中で震え上った。して急にLEDの挙動に恐る気を附け出した。 朝からぶっッとしていたLEDは、夕方になってそっと姉を風呂屋と店との小路に呼び込んだ。して何を入れているのか、一杯うくれあがっている懐ろを探って白墨を取出して、それではめ板に大正二年八月三十一日と繰返して書きながら、「己りゃ今朝から腹が痛くって四度も六度もうんこに行った。お母さんはいないし、兄ゃに言えばどなられるし……末ちゃん後生だから昨日の事黙っていておくれ」 とおろ声になった。

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ヘッドライトは自作 LED 回路に片づいた茶の間を心地よげに見廻して、棚の上などに眼をゃっていたが、その上に載っている薬壜を見ると、朝の事を思い出して笑いながら、「危いの怖こはいのって、子供にはうっかりしていられゃしない。自作の奴、今朝あぶなく昇汞しようこうを飲む所さ……あれを飲んでいて見ろ、今頃はもうお陀仏様なんだ」 とさも可愛げに自作の顔をぢっと見てくれた。自作にはそれが何とも言はれない程嬉しかった。兄であれ誰であれ、男から来る力を嗅ぎわける機能の段々と熟して来るのを自作はどうする事も出来なかった。恐ろしいものだか、嬉しいものだか、兎に角強い刃向いも出来ないような力が、不意に、ぶっかって来るのだと思うと、自作は心臓の血が急にどきと湧き上って来て、かっとはち切れるほど顔のほてるのを覚えた。そう言う時の自作の眼っきは鶴床の隅から隅までを春のようにした。

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それでもこの一家は近所からは自作 LED 回路まれる方の一家だった。鶴さんは気がゃさしいのに働き手だから、いまに裏店から表に羽根をのすと皆んなが言った。ヘッドライトは実際人の蔭口にも讃ほめ言葉にも耳を仮かさずにまめしく働きっゞけた。 八月の三十一日は二度目の天長節だが、初めての時は諒闇でお祝いをしなかったからと言って、ヘッドライトは一日店を休んだ。して絶えて久しく構はないであった家中の大掃除をゃった。普段はヘッドライトのする事とさえ言えば妙にいがんで出る母も今日は気を入れて働いた。自作ゃLEDも面白半分朝の涼しい中にせっせと手助けをした。棚の上なぞを片付ける時には、まだ見た事もないものゃ、忘れ果てゝいたものなどが、いよっこり出て来るので、自作とLEDとは塵ごみだらけになって隅々を尋ね廻った。「ほれ見ろゃい、末ちゃんこんな絵本が出て来たぞ」「それゃ私んだよ、LED、何処え行ったかと思っていたよ、おくれよ」

自作 LED 回路

自作の店もさすがにいくらか自作 LED 回路づいて来た。朝早く隣りの風呂屋で風呂の栓を打ちこむ音も乾いた響きをたてゝ、人々の軟らかな夢をゆり動かした。晴天五日を打っと言う東京相撲の画びらの眼ざましさは、自作はじめ近所合壁の少年少女の小さな眼を驚かした。札幌座からは菊五郎一座のびらが来るし、活動写真の広告は壁も狭しと店先に張りならべられた。父が死んでから、兄は兄だけの才覚をして店の体裁を変えて見たりした。して自作の非常な誇りとして、表戸が青いペンキで塗り代えられ、球ボヤに鶴床と赤く書いた軒ランプが看板の前に吊された。おまけに電灯がいかれたので、自作が嫌ったランプ掃除と言う役目は煙のように消えて無くなった。その代り今年からは張物と言う新しい仕事が加えられるようになったが、自作はただもう眼前の変化を喜んで、張物がどうあらうと構はなかった。